小金持ち山に登る最中には、誰かの「陰口」や「悪口」に惑わされることもあると思います。
本記事は、中学校で教員をしている私が、学年集会で話をした内容です。
中学生は思春期真っ盛りで、悪口で盛り上がり、悪口を真に受けて傷つく子が後をたえません。
悪口は悪いことと知っているけれど、やめられない人へ
20代で得た知見という本から、「悪口は恥ずかしいこと」という新たな視点を提案します!
普段の生活で悪口を言ってしまう自分に嫌気がさしていたり、悪口を言われて苦しんでいる人に向けて書きましたので、読んでみてください!
悪口について考える
「悪口は悪いこと。言われなくてもわかってる」
でも、分かっているはずなのに、つい言ってしまうことがありますよね。
悪いことだと理解していても、面白かったり、ノリでつい言ってしまうことがあるのです。
私自身も、悪口はいけないと散々言われてきました。しかし、人に押し付けられる禁止事項って、なんだか反発したくなりますよね。結局、自分が納得できる理由がないと、理性で抑えることは難しいのです。
そんな中、最近読んだ本に書かれていたある考え方が、とても心に響きました。
悪口とか罵倒というのは、当の相手が傷つく台詞を考えに考え抜いて出力される、人間の悪意中の悪意です。そこに韻やらバイブスを加えればラップバトル、論理論拠を加えれば批評、洒落な修辞を加えれば一つの芸術となる。悪口を言わないようにするのは優雅な心構えです。しかし人間の本能は、大して優雅ではない。怒っていない獣は大して美しくない。ところで傷つけたい相手を一番傷つける台詞を考え抜くにあたっては「これまで自分が何を言われて最も傷ついたか」という経験が強く参照される。よって悪口とは悪口を言う本人が言われたら最も傷つく台詞を開陳する行為に他ならない。これを踏まえて色んな人の色んな悪口を眺めていると、なるほど人間は趣深いという気持ちになります。
20代で得た知見/F
少し難しい言葉もありますが、私が重要だと思う考えは要するにこういうことです。
「悪口とは、自分が今まで何に傷つき、何をされて怒ったのか。その弱みを自らさらけ出している行為である。」
この言葉から、「悪口は恥ずかしいこと」ということに気が付きました。
例えば、
コンビニ店員に横暴な態度を取る人は、過去に見下された経験があるのかもしれません。
他人の外見についてデリカシーのない発言をする人は、自分自身の容姿にコンプレックスを抱えているのかもしれません。
人を馬鹿にする人は、誰かから馬鹿にされ、傷ついた経験があるのかもしれません。
そう考えると、悪口って自分の弱みを他人にさらけ出すような、とても恥ずかしいものだと思いませんか?
私はこの言葉に納得し、悪口を言うことはやめようと思えるようになりました。
また、悪口を言われたとしても、「この人は過去にこんなことで傷ついてきたんだな」と思えば、冷静に受け止めることができるようになりました。
本気で許せない時のために、悪口を取っておく。
そう考えると、少し楽になりませんか?
この本を読んでから、私にとって悪口は「悪いこと」から「恥ずかしいこと」に変わりました。また、悪口を言われても、以前より冷静に受け流せるようになりました。
この考え方に共感できたら、ぜひ使ってみてください。
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